ためつすがめつ (形容動詞?)
矯めつ眇めつ
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yes,we can! カーボンナノチューブを使用した作品
2008年 12月 31日 (水) 21:58 | 編集
0.5ミリのオバマさん ナノチューブ1.5億本で作製
asahi.com 2008年12月28日1時39分
TKY200812270236.jpg

もう最先端の科学技術を巻き込んでのお祭り騒ぎですな
ねぇ、これ手作りじゃないよね
なんだかみんな微妙に表情が違う気がする
加工技術の限界か。
ナノレベルってなんだか常識が通用しなくなる
ナノレベルの技術と結びついた前衛的な芸術的試みもこれから登場してくるのだろう
色んなメッセージ性を帯びさせることができるのだろう
木村敏 1 「自然」について(『自分ということ』より)
2008年 12月 31日 (水) 20:57 | 編集
木村敏『自分ということ』ちくま学芸文庫より

小論 「自然」について

あらすじ:
著者は分裂病とは「自然さの喪失」であると考える。そこでそもそも「自然」「自然さ」とは何であるかを考え明らかにし、分裂病患者にとって「自然さの喪失」とはどのような意味を持つかを述べる。


  • 精神分裂病
  • 原因に関しても、それが人間のどこをどのように侵すかも一義的な理解は全く得られていない
  • そのような分裂病における経験的事実
    1. ほとんどの場合思春期以降に始まる
    2. 一時的な精神異常ではなく、少なくとも一生の大部分に重大な影響を及ぼす慢性進行性の経過を辿る
    3. その重篤な症状にかかわらず、これを説明できるだけの身体的病変が全く認められない
    4. 先天的な素質を無視できないとしても、出生後の生活環境、ことに周囲の人との対人関係が発症の大きな契機と考えられる
  • 精神分裂病者の観察的・診断的事実
    • 「分裂病者は周囲の世界に対しても、自分自身に対しても、自然で親しみのある関係を持てない」
    • 「自分の経験するすべてのことが、以前とはまるで違った〈よそよそしい〉、〈味気ない〉、〈不自然〉な気分を帯びてくる」
    • 「一方、そういった状態にある分裂病者は、彼との間に関係を持とうとする人の心にも、非常に不自然な印象を与える」
    • 診断のつきにくい「精神障碍者」の場合
      • 「彼の態度や表情などが私たちにとって自然なものであるかどうか」の一点にかかることも稀ではない
  • 精神分裂病者の一般的な主観的印象
    • 「不自然」「独特の不自然さ」
      • 態度や表情などが私たちにとって自然なものではない
    • 「自然さの喪失」
  • 木村氏の考える分裂病の「基本障碍」
    • 基本障碍:さまざま症状の根底にあって、すべての症状が結局はその一点から由来しているといえるような障碍(しょうがい)
    • 「自己の自己性の不成立」
      • 「分裂病者は、その幼児からの対人関係を通じて自己の自己性を確立することに失敗し、自己性つまり主体性の有無を問われる思春期の対人関係につまずいて、自己の自己性そのものが深刻な危機にさらされるような異常事態を招く」
      • 我々が精神分裂病と呼ぶのは、この異常事態に直面して対処の仕方に苦慮している状態である
      • けっして、精神が分裂しているような状態ではない
      • 「自己の自己性の危機という異常事態に直面して、統一のとれた整然たる対応が困難であるために、外から見ると一見、精神機能が支離滅裂になっているようにみえるだけのこと」
      • 自己の自己性の危機は、他の何らかの「障碍」の結果として一時的に生じたものではなく、その人の生活史全体からの必然的帰結であって、分裂病はそれ自体で起こるものである
      • 「自己が自己である」という考え方が疑問に付される
    • 「自己の自己性の不成立」が起こっている患者の印象分析
      • 自然さの喪失はもとより「不自然さ」も喪失している
      • 「自然さの喪失が同時に不自然さの喪失であるような事態である、といってよい」
      • 「自然さだけでなくて不自然さをそれの一様態としてして示しているような、人間にとっての最も根源的な自然さの喪失であるように思われる」
      • では、人間にとっての最も根源的な自然とは何であるか。問題提起。
      • 「自然さの喪失」と「自己の自己性の不成立」には深い関わりがあって、それを説明する鍵を握るのが、これから述べられる「人間にとっての最も根源的な自然とは何か」という問いに対する答えであるとのこれからの見通し
      • 「この二つの言表は同じ一つの根源的事態を指していて、この根源的事態こそ、分裂病の基本障碍と呼ばれるべきであるものと考えている」
      • この根源的事態について「自然」という方面からアプローチしていくことの表明

以下、木村氏は西洋と日本での「自然」という概念を比較することで、日本語における自然の概念にスポットを当てていき、そこから日本語における「自然」の概念と「自己」の概念とのあいだの「不可分な関係」を指摘しようと試みる。

西洋的「自然」と日本的「自然」


 自然
 西洋日本
用語の使用法名詞的使用副詞的使用
読み方Nature
おのずから/みずから
じねん/しぜん
人間との関わり方
客体的・対象的
「人間一般に対しての外的実在」
「人間を外部から取り囲む環境の全部から、いっさいの人為的なものを引き算した余り」
人間の内面を巻き込む
主観と関わる
「一人一人の個人のうちにある」
概念的位置付け普遍的対象概念
「客体総称名詞」
「自己の主観的情態性」
人間の捉え方合法則性
規則性
(人間を超えたもの)
介入できるできない
人為的な行為は及ばない
おのずからそうである
ひとりでにそうなる
具体的心情安らぎ
緊張の解除
不測の偶発事を起こすもの
不安
緊張

  
木村敏 『自分ということ』
2008年 12月 31日 (水) 17:50 | 編集
精神病理学という学問領域があるのを知ったのは大学時代。
当時のドイツ語の講師がこの精神病理学と哲学が専門であった。
その講師の話の中に、ラカン、ビンスワンガー、ブランケンブルク、木村敏の名前が挙がっていた。
講義は純粋にカントなどのドイツ語テキストの読解の授業だったが、彼らの文献は扱われなかった。カントやハイデガーの文献を扱った際に、彼らの考え方などがちょろっと紹介される程度であった。
当時はドイツ語テキストの日本語訳に夢中で(ちゃんと宿題をやってこないから)残念なことに、彼らが何に対してどんな考え方をしていたのか、ほとんど覚えていない。もったいない。mottainai
そういう残念な流れで、木村敏氏など名前だけは辛うじては知っていた。

その講師も、今年はもう大学を離れてしまっていない。事情により休職するとのこと。
自らを中島義道とならんで「戦う哲学者」と称していた。非常勤であり、精神病理学を専攻しているだけあって、哲学だけが専門の教授陣と少しスタンスの違うものの見方が刺激的であった。もし何かあって大学に舞い戻ったとしても、あの授業がもう受けられないと考えると少し残念に思う。

そんな思い出を蘇らせてくれたのが本屋での出会い。木村敏の名前を見てから。
講師は全面的に支持しているようではなかったが(こんなことは覚えている)よく名前が出ていて、何だかんだで尊敬しているような人だったので、どんなものを書いているのだろうと、見つけた著作を手に取り購入。

それが、 『自分ということ』ちくま学芸文庫

小論集という構成になっている。7本ある。
とりあえず、自分の理解したポイントをまとめる。
何曜日?
2008年 12月 23日 (火) 12:40 | 編集
最近久々にマンガを読み漁っている。
あまり意識していないけれど、何故か江戸を舞台にした作品が多い。
読んだのは、杉浦日向子『百日紅』『合葬』『百物語』、松本大洋『竹光侍』、オノ・ナツメ『さらい屋五葉』

オノ・ナツメの流れで『リストランテ・パラディーゾ』も購入。
この作品は、現在乱立する萌え属性の中で、「老紳士萌え」という分野を独自の方向で発見・開拓したとも言われている記念碑的作品。とのこと。
舞台はイタリアのレストラン。従業員は全員眼鏡をかけた老紳士たち。清潔な身なり+余裕があって細やかな立ち振る舞い、やわらかい物腰といったような紳士に、レンズの小さな眼鏡(老眼鏡)を鼻の頭までずらしてかけさせることで老紳士の色気を生み出しているようです。

ちょっと危ないかもと思いながら、古本屋で100円だったので購入。
読んでみると、20歳と50歳のちょっとした恋の話だったが、お話は小気味よくさわやかな話でした。しかし、今のところ老紳士には萌えていない。
よかった。

あぶねーあぶねーと思いつつ、『さらいや五葉』もなんか面白いし他の作品も読んでみようということであらすじを知らぬまま『amato amaro』を購入。

読んでびっくりBL系。抜いたり出したりメインの話ではなく、主人公たちの心の機微と交流がメインの話なのだけど、その境地はあまり理解できず、途中で読むのをやめてしまう。
こんなルートからBL系の本を家に置くことになるとは思わなかった。
いつか、読む。と思う。

最近ていろんなお話があるんだなぁ、としみじみ

先の杉浦日向子さんは、『合葬』の巻末で、江戸時代(近世)の文化は日曜日、幕末維新期(近代)は月曜日の夜明けという喩えを紹介しているが、現代のこの今は何曜日にあたるんだろうと、紳士萌えやBL系、さらにぶっとんで金融恐慌などを思い出しつつ考える。

大きな物語があまり姿をみせなくなって小さな物語たちでたこつぼ化してしまったように思える昨今、もう曜日というざっくり大きな概念も文化に当てはめにくくなっている気もする。
あえていうんだとしたら、日曜日のゆったり感への哀愁と月曜・日中の仕事してやったぜ感とがあいまって、色々活動してみたくなる月曜日の夜(深夜?)といったところだろうか。
だとすれば、そろそろ、「あしたもあるんだし、もう休んで明日にそなえようよ」と火曜日に目を移そうとする流れがでてきてもおかしくない。一般的に考えて、月曜に夜更かししてしまってはあとの体力が続かなくなる。体を壊してしまったらもとも子もない。

何曜日?という枠で考えるなら、今は月曜日の夜を夜更かししている気がする。
火曜日はどんな一日になるのだろう(エコという概念は果たして火曜日のものになりえるのか、月曜日の仕事の残りを同じやり方で片付けるのか、そしてその仕事を担うのは誰か‥)
でもそんな、何曜日?の枠は、寝て起きれば明日になっているという前提をアプリオリに含んでいるのでその点はちょっぴりおかしい。私たちの世界はどこまでも地続きで、寝ない。
琴線
2008年 05月 16日 (金) 20:24 | 編集
芸能人のブログだけど、いい感じのことを書いてるなと思うもの。引用抜粋。

『僕がバイト先で餌をあげていた野良猫には社長が代わりに餌をあげていてくれて、
今はその子供達が餌を食べに来ているという。
いい言葉が見当たらないけど、何だか良かったと思う。
そう、これでいいのだ。』
サンドウイッチマン 富澤たけし

『あいつは昨日、
今までのアホ発言をすべて吹き飛ばす名言を放ちました。

「産まれたときは僕は泣いてて
みんなは笑顔だったんですよね
僕が死ぬときは僕は笑顔で
みんなは泣いてる。
そんな人生にしたいんですよね。」

いい台詞じゃねえか。』

品川庄司 品川裕
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